大判例

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京都地方裁判所 昭和44年(ワ)999号 判決

原告

小谷修

被告

有限会社林藤助商店

ほか一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一請求の趣旨

被告らは各自原告に対し金二一八万三、一六六円とうち金一九八万三、一六六円に対する昭和四四年八月一七日から支払いずみまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決と仮執行の宣言。

第二請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

第三請求の原因事実

一  事故の発生

原告は、次の交通事故によつて傷害を受けた。

(一)  発生時 昭和三八年一二月二〇日午前一時五〇分ごろ

(二)  発生地 京都市上京区河原町通り広小路上る路上

(三)  事故車 モーターバイク(京中二〇〇〇三号)

運転者 被告武田直三

(四)  被害者 原告

(五)  態様

原告は訴外桂タクシー株式会社の事故係代理として、本件事故現場で事故処理中、事故車と衝突

(六)  原告は、前額部裂傷、左眼瞼下裂傷、全身打撲、擦過傷の傷害を受け、昭和三九年二月初旬治癒との診断のもとに治療を打ち切つた。

ところが、原告は、同年七月になつて、再び身体に変調をきたし、同月六日、京大病院で、頭部外傷Ⅱ型、外傷性頸部症候群と診断されて通院し、昭和四〇年一月からは、週一回程度の通院で足りた。

ところが、原告は、昭和四一年九月ごろから、病状が急激に悪化し、同年一一月から昭和四二年一月まで同病院に入院し、その後は通院して、昭和四四年三月一〇日次の後遺症状をのこして症状固定をみた。

頸性頭痛、右上肢筋粗大力低下、右上肢知覚異常、悪心嘔吐、弱視、筋電図検査上右小指球筋に下位運動ネウロン性障害。

二  責任原因

(一)  被告武田直三

交通事故処理中であることを示す赤ランプがおかれ、警察官は、懐中電灯をもつて迂回の指示をしていたから、運転者には、たやすく判り得た。同被告は、酩酊していて気がつかなかつたもので、これは同被告の過失である。従つて、民法七〇九条による賠償責任がある。

(二)  被告会社

事故車の保有者として自賠法三条による責任がある。

仮に、事故車に同条の適用がなかつたのなら、被告会社は、被告武田直三を雇傭しているもので、本件事故は被告会社の職務執行中に惹起されたから、民法七一五条による責任がある。

三  損害

(一)  逸失利益 金一五二万八、八一六円

事故時 三四歳

昭和四四年三月の月収 金七万八、八六五円

労働能力喪失率 〇・三五

労働能力喪失期間 三年

〈省略〉

(二)  慰藉料 金一〇〇万円

本件の諸般の事情を勘案し、原告の本件事故による精神的損害は、金一〇〇万円が相当である。

(三)  損益相殺

原告の損害は、以上の合計金二五二万八、八一六円であるが、労災から、昭和四四年六月二四日金五四万五、六五〇円を受け取つたから、みぎ損害に充当する。

(四)  弁護士費用 金二〇万円

原告の損害は、金一九八万三、一六六円であるが、原告は本件原告訴訟代理人に訴訟委任をし、金二〇万円の報酬を支払うことを約束した。

四  結論

原告は、被告らに対し、金二一八万三、一六六円とうち金一九八万三、一六六円に対する本件訴状が被告らに送達された日の翌日である昭和四四年八月一七日から支払いずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第四被告らの事実主張

一  請求の原因事実に対する認否

第一項中(一)ないし(五)は認める。(六)は知らない。

第二項は全部否認する。ただし、事故車が被告会社の所有であつたことは認める。

第三項の損害額を争う。

原告が、本件で請求している損害は、いずれも、本件事故と相当因果関係にある損害ではない。

二  抗弁

示談成立

原告と被告との間には、昭和三九年二月一四日示談が成立しているから、本件請求は失当である。

第五抗弁事実に対する原告の認否

被告ら主張の示談が成立したことは認める。

しかし、本件で請求している原告の損害は、示談の時、予測がつかなかつた。

従つて、示談契約自体が要素の錯誤により無効であるか示談中の権利放棄の約定は無効である。

第六証拠関係 〔略〕

理由

一  原告主張の本件請求の原因事実中、第一項の(一)ないし(五)の各事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、被告らの抗弁について判断する。

原告は、被告らと、昭和三九年二月一四日、示談契約を締結したことは、当事者間に争いがない。

〔証拠略〕によると、同契約の内容には、被告武田直三が、原告に対し、慰藉料として金七万二、〇〇〇円を支払うことを約束した条項があるが、それには特に後遺症を含むと注意書きのしてあることが認められ、この認定に反する証拠はない。

〔証拠略〕によると、原告が通院していた太秦診療所の医師は、原告の受傷が治癒したと診断したために、原告が当時運転手として勤務していた桂タクシーの事故係訴外吉田種穂が中に入つて示談ができたことが認められる。

〔証拠略〕によると、原告は、昭和三九年一月には、すでに京大病院脳神経外科で頸部症候群の診断のもとに治療を受けていたことが認められる。

これら認定の事実からすると、原告は、タクシーの運転手であり、示談をするときにも、事故係が中に入つているのであるから、示談に際し、後遺症のことは特別留意したと考えられ、しかも、京大病院の診療を受けてから示談をしているのであるから、示談には、原告の当時の頸部症候群による後遺症をも含めたものとしなければならない。そうして、そのときの原告の症状は取り立てていうほどのものでなかつたわけである。もしそうでなければ、示談をする筈がない。

ところで、原告が、昭和四四年三月一〇日、症状が固定したときの主訴のうち、頸性頭痛、右上肢筋粗大力低下、右上肢知覚異常、悪心、嘔吐、弱視は、すべて自覚的所見でしかなく、他覚的所見としては僅か筋電図検査の結果右小指球筋にネウロン性障害が認められるだけであるが、この筋電図の異常が示談締結後発症したことが認められる証拠はない。むしろ、この他覚的所見は、受傷後五〇日以上を経過した示談のときまでには、発症していたと考えなければならない。

特に、原告は、昭和三八年一二月二〇日から五日間堀川病院に入院し、翌昭和三九年一月初旬まで太秦診療所に転医して入院していたのである(〔証拠略〕によつて認める)から、原告は、一番安静を必要とする時期に入院していたことになり、本件事故当初からの受傷部位が悪化することはあり得ない。

もつとも、原告の主張によると、この頸部症候群は、通常予想される経過をたどらず、再入院を必要とするほど悪化ししかも、昭和四四年三月にやつと症状固定をみたことになる。しかし、このように通常予想される経過をたどらず、このように長年月の治療を必要とするようになつた原因が認められる証拠がない。

なお、ここにいう頸部症候群の通常の経過とは、受傷後一か月以内にその症状が出揃い、他覚的所見のないもので三か月から六か月、他覚的所見のあるものでも一年以内に治癒するものを指す。

このようなわけで、原告と被告ら間で締結された示談契約では、頸部症候群による通常の後遺症を含めて示談解決したとするほかはない。

三  そこで原告の再抗弁について判断する。

原告の再抗弁は、原告の頸部症候群が予想に反し重篤であつたことを前提にしている。

しかし、示談契約を締結した際、頸部症候群のあることは判つていたのであるから、たとえば、擦過傷だけ、或は打撲傷だけだと思つて示談したところ、その後骨折や内臓破裂が発見されたという場合と異なるのである。すでに頸部症候群のあることは判つており、それが、通常の経過をたどらず、再入院を必要としただけである。そうして、このように再入院を必要とした理由は、本件記録に顕われた証拠では明らかでない。しかし、ここでいえることは、頸部症候群の病像と経過は、多分に心因的要素に影響されるもので、単なる器質的病変とそれに対する治療とは多分に意味が異なるということである。前述したとおり、多くの頸部症候群の罹患者は、一年以内に治癒し、残る僅かの者が主として心因的原因などのため治療効果があがらないのである。そうであるから、このような治療効果のあがらない頸部症候群はすべて当初の受傷のとき又はその後の示談のときに比較して、予想外の新たな頸部症候群の症状が発生したものであるとするわけにはいかない。

従つて、原告の再抗弁は、いずれも、予想外の症状が発現したことを前提にしたものであるから、その前提が認められないことに帰着し採用しない。

四  そうすると、被告らの抗弁は理由があることになる。

なお、当裁判所は、原告らが本件で請求している後遺症による損害は、本件事故と相当因果関係のないものと考える。

そのわけは、前述したとおり、原告は、職業運転手であること、昭和三九年二月に治療を打ち切り、同年七月ごろまで、なんらの治療をせず復職していること、それが、同年七月に入つて京大病院に再入通院するようになつたが、その原因が医学的に明らかでないこと、原告には、それから、昭和四四年三月一〇日までもの長期間入通院をしなければならない程器質的損傷が認められないこと、以上のことを総合したとき、原告の頸部症候群は、多分に心因的なものであり、本件事故の受傷と自然的因果関係があつても、心因的要素が加わることにより、本件事故との法律的因果関係はない。つまり、被告らに対し、原告の心因的要素による頸部症候群にまで責任を負わすことは、衝平の見地から適当でないということである。

五  以上の次第で、原告の本件請求は、すでに示談ずみであるか、本件事故と相当因果関係にない症状にもとづく請求であるからその余の判断をするまでもなく失当として棄却し、民訴法八九条に従つて主文のとおり判決する。

(裁判官 吉崎慶長)

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